私が育った家には、床というものが存在しませんでした。どこを歩いてもカサカサというビニールの音がし、季節外れの衣類や食べ終えた弁当の容器が山をなしていました。世間で言う「ゴミ屋敷」が私の日常であり、それがネグレクトという虐待の一種であると知ったのは、ずいぶん後のことでした。母はいつも「明日片付けるから」と言っていましたが、その明日は一度も来ませんでした。子供の頃の私は、学校の友達が家に遊びに来ることを何よりも恐れていました。自分の家から漂う独特の臭いが、ランドセルや服に染み付いているのではないかと毎日不安で仕方がありませんでした。お風呂は週に一度、母が気が向いた時にしか沸かしてくれず、食事もコンビニのパンやスナック菓子で済ませることがほとんどでした。ネグレクトを経験した子供にとって、ゴミ屋敷は単に汚い場所ではなく、自分の存在を否定される場所でもあります。自分は綺麗な部屋で過ごす価値のない人間なのだと、幼心に思い込んでしまうのです。ある冬の日、私はついに耐えきれず、学校の先生に家のことを話しました。数日後、児童相談所の人が家に来て、私はそのまま一時保護されました。あの時、ゴミの山をかき分けて家を出た瞬間の外の空気の冷たさと清々しさを、今でも鮮明に覚えています。保護された施設で、初めてシーツの敷かれた清潔なベッドで寝た夜、私は涙が止まりませんでした。親を嫌いになりたいわけではありませんでしたが、あのゴミの山の中で、私は自分自身がゴミのように扱われていると感じていたことに気づいたのです。現在は一人暮らしをしていますが、私は部屋を完璧に綺麗に保たずにはいられません。少しでも床に物が置かれていると、あの息の詰まるような実家の光景がフラッシュバックするからです。ゴミ屋敷とネグレクトが子供に与える心の傷は、物理的なゴミがなくなった後も、一生消えることはありません。それでも私は、あの環境から救い出されたことに感謝しています。今、同じような境遇にいる子供たちが、どうか一日も早く自由な空気の中で深呼吸できることを願ってやみません。
足の踏み場もない家で育った私の記憶