私の部屋には、もう何年も床というものが存在しません。玄関を開けた瞬間から、膝の高さまで積み上がった雑誌やコンビニの空き容器、いつ買ったかも覚えていない衣類が私を迎え入れてくれます。世間からはゴミ屋敷と呼ばれ、憐れみや蔑みの対象とされるこの場所が、今の私にとって唯一、心が安らぐシェルターになっています。始まりは、大好きだった母が亡くなり、この広い家で一人きりになったことでした。静まり返ったリビングで、時計の音だけが響く夜に耐えられず、私は買い物をすることでその静寂を埋めようとしました。新しい物を買い、その包みを開ける瞬間だけは、誰かと繋がっているような、自分がまだ生きているような実感が持てたのです。しかし、手に入れた物はすぐに輝きを失い、ただの塊となって部屋を占拠していきました。皮肉なことに、物が増えれば増えるほど、部屋の中の音は吸い込まれ、静寂はより重くのしかかってきました。でも、ゴミの山が自分の肩をかすめるほどの高さになったとき、私は不思議な安心感を覚えたのです。このゴミたちは、私を裏切らない。私がここにいることを、言葉を使わずに認めてくれているような気がしたのです。窓を閉め切り、カーテンを一度も開けない生活の中で、私は自分の孤独をゴミという形で可視化し、その中に埋もれることで、外界の厳しい風から自分を守ってきました。近所の人たちが私の家の異変に気づき、冷ややかな視線を送ってくることも知っています。行政の人が訪ねてきて、困ったことはありませんかと優しく声をかけてくれることもあります。でも、このゴミの山がなくなってしまったら、私は本当の「何もない自分」と向き合わなければなりません。それが、私には何よりも恐ろしいのです。ゴミを捨てることは、母との最後の繋がりを断ち切ることのように思えて、手が震えます。私は今日も、カサカサというゴミの音を子守唄にして、わずかな隙間で眠りにつきます。寂しさという底なし沼から逃げるために作り上げたこの城で、私はいつまで、こうして自分を騙し続けていけるのでしょうか。誰かにこのドアを無理やりこじ開けてほしいと願う心と、誰にも踏み込まれたくないと拒絶する心が、私の内で静かにぶつかり合っています。
積み上げたゴミの壁が守る私の寂しい居場所