私が幼い頃、家はいつも散らかっていました。毒親だった両親は、外では立派な顔をしていましたが、家の中では掃除を放棄し、物が積み重なる中で私は育ちました。友達を家に呼ぶことは一度もできませんでしたし、服にはいつも独特の臭いが染み付いていました。大人になり、自分の部屋を持つようになってから、私は極度の潔癖症か、あるいは親と同じように物を捨てられない性格のどちらかになるのではないかと恐怖していましたが、結果としては「物に執着しない」ミニマリストに近い生活を選びました。あの日々のゴミの山は、親の心の荒廃そのものでした。親は私に対して「片付けられないのはお前のせいだ」と責任を転嫁し、私は幼心に自分が悪い子だから家が汚いのだと思い込んでいました。しかし、今なら分かります。家を清潔に保つことは大人の責任であり、それを果たせなかったのは親の未熟さゆえです。費用がかかっても、業者にすべてを任せ、自分は立ち会わない、あるいは立ち会っても作業には関与しないというスタンスを貫いてください。三つ目は、自分の未来を優先することです。ゴミ屋敷の清掃費用や親の介護で自分の貯金を使い果たし、自分の人生を犠牲にするのは、毒親の望む「支配の継続」に他なりません。そうなる前に、法的な相談や、相続についての知識を身につけ、自分を守るための防壁を築いてください。毒親育ちの多くが、大人になっても実家のゴミ屋敷問題に引きずり戻されます。親が年老いてさらにゴミを溜め込むようになると、かつてのトラウマが蘇ります。私は最近、ようやく実家の片付けを手配しましたが、それは親のためではなく、自分の中に残っている「汚い家に住んでいた惨めな子供」を救い出すための作業でした。業者がゴミを次々と運び出していく様子を見て、私の過去も浄化されていくような気がしました。ゴミ屋敷で育つということは、心理的な居場所を奪われることでもあります。もしあなたが今、同じ境遇にいるなら、どうか自分を責めないでください。あなたは美しい環境で生きる権利があります。親の作ったゴミの山を飛び越えて、自分の手で清潔で心地よい空間を作り上げることは、毒親に対する最大の復讐であり、最高の自己救済なのです。