私は今、足の踏み場もないほどに物が溢れた部屋の中で、この文章を書いています。世間からはゴミ屋敷と呼ばれるであろうこの空間が、私にとっては唯一の安息の地であり、同時に自分を苦しめる牢獄でもあります。始まりは些細なことでした。かつて使っていたノート、お菓子の空き箱、いつか必要になるかもしれない領収書。それらを捨てるたびに、自分の人生の欠片が消えていくような、恐ろしい感覚に襲われるようになったのです。私にとって物は単なる道具ではなく、その時の記憶や感情を保存する「記録装置」のような存在です。物を捨てることは、その時の自分自身を否定し、忘却の彼方に追いやることに等しく感じられ、手が震えて動かなくなります。周囲の人々は「ただのゴミじゃないか」と言いますが、私にはそれらが輝かしい過去の証拠であったり、未来への希望を繋ぎ止めるアンカーであったりするように見えています。汚部屋の中に閉じこもることで、外界の冷たい視線から守られているような錯覚を抱くこともあります。しかし、深夜にふと目覚め、天井まで積み上がったゴミの山を見たとき、激しい自己嫌悪と絶望が襲ってきます。自分はなぜ、普通の人が当たり前にできる「捨てる」という行為ができないのか。この心理的なブレーキは、私の意思の弱さではなく、もっと深い、自分でも制御できない領域から生じているようです。ゴミに囲まれている安心感と、不衛生な環境への嫌悪感。この相反する感情の板挟みになりながら、私は毎日、一袋のゴミ袋を広げては閉じ、また元の場所に戻すという無意味な動作を繰り返しています。私の心の中は、部屋と同じように整理がつかず、カオスが支配しています。誰かに助けてほしいと願う一方で、この惨状を見られることへの耐え難い羞恥心が、私をさらに孤立させていきます。物の重みが、そのまま私の心の重みとなってのしかかっています。いつか、この執着という呪縛から解き放たれ、真っさらな床の上で深呼吸できる日が来ることを、私はゴミの山の中で静かに祈り続けています。
物を捨てられない心の葛藤と向き合う日々